院長の歴史
こんにちは!
院長の徳丸です。
今回は徳丸歯科医院院長の歴史を
語らせていただきます。
1、なぜ歯科医になろうと思ったのか?
歯科医師を目指したのは
幼少期の生活の影響が大きいと思います。
父は大分合同新聞の販売店を、母は学校教員で、
当時この職業はほとんど休みがなく、
一泊旅行どころかPTAにも来てくれず
毎日忙しく働く両親でした。
私も5歳の頃から新聞配達を手伝い、
高校卒業まで続けました。
サラリーマンは性格的に不向き。
会社を起こせる才能やお金はない。
医科や教員は魅力でしたが、
家族と休みを過ごせるだろう歯科に進学しました。
2、なぜ開業しようと思ったのか?
歯学部卒業後は日本最高の学問、
技術が学べると思い九州大学歯学部病院に入局。
九大病院入院中の難病患者さんの治療や論文発表。
技工士学校の講師や数多くの歯科医院での
バイト勤務などで多くを学べ、
楽しく充実した生活を送っていました。
当分の間は大学病院に残るつもりでしたが、
平成2年、父が65歳の若さで病死し
母が一人になるので、急遽大分に戻ってきました。
当時大分では公的医療機関の勤務募集はなく、
個人病院での勤務は先が不安定なので
開業を決心しました。
3、なぜこの場所で医院を開業したのか?
テナント開業は初期投資が安く済むので
人を集めやすい一等地でも開業できるが、
間取り、改装、家賃が家主の意見に左右され、
自分の思い通りの経営をし難いと判断。
土地を購入して開業した平成5年、
大分ではバブルが終わってなく、
土地、建築費は一番高い時期。
しかも手持ち資金がない私は
全額銀行からの融資に頼らなければならなかった。
返済可能であろう借入金額を考慮して、
昔から馴染みのあるこの場所が良いと判断しました。
4、来院している患者さんに対して
どのような思いで診療しているのか?
仕事において私は人から感謝されるレベルの
高い仕事をすることが最も大切だと考えています。
私がその思いを強くしたのは、
ある患者さんとの出来事がきっかけです。
もう20年ぐらい前のことになりますが、
ある患者さんが亡くなられ、
娘さんが遺言書を持ってお越しになりました。
その遺言書には徳丸先生に感謝していると
書いて頂いてました。
その遺言書を見て亡くなられた患者さんの事を
思い出しながら、
私は人から感謝されるような仕事を
し続けなければならないと決意を新たにしました。
医療というサービスは、その性質上、
患者さんから治療費を頂戴しながら、
ありがとうと感謝の言葉をかけて
もらえやすい仕事です。
それゆえに自分の仕事が患者さんに
貢献できているものと思い過ごしやすいものですが、
私はいつも現状に満足してはいけないと思っています。
そして常にこの患者さんにも
最高の仕事ができているだろうかと
自問自答し続けているからこそ
高い水準の歯科治療サービスを
提供することができると考えています。
そしてこの姿勢は、
これからも変わることはありません。
チームメンバーと共に、患者さん一人一人と、
いつでも真剣に向き合い、
全ての患者さんから感謝されるような
仕事をしていきたいと思っています。
